第1回 スポーツ裁判

和泉恭子基金の設立を強く希望した理由は、パラグライダーの事故の被害者は、孤立無援状態で、相談を受ける弁護士が参考にできるような資料、特に法律関係についての研究や裁判例が殆どなく、救済の手を差し伸べたくても、差し伸べにくいように感じたからです。

事件終了後、スポーツ法学会を知りました。私たちは、漫然と、スポーツは、(職業ではなく)趣味だから、そこで形成される人間関係は希薄で、権利義務の関係として問題としにくいとか、競技は、参加者が好んで参加するものだから、ある程度の危険は覚悟している(自己責任、許された危険)と考えており、遠い現象(法律問題ではない)と感じていました。

それが実はそうではなく、スポーツ法学という分野を樹立して、スポーツを巡る人間関係にも、法的検討を加える必要があるとのお考えの法律家集団があり、研究の成果が発表されていることを知りました、それを皆様にお知らせしたいと思います。

第1回は、今回何故和解が成立することが出来たかを、訴訟担当者として、反省も含めて考察したいと思います。

スポーツ(パラグライディング)は、一定のルールの範囲内で楽しい興奮を味わうことを可能にさせてくれるもので、その活動は有意義と認められ、私的自治の範囲に含められて公認されている。しかしスポーツ(パラグライディング)は危険を顧みず、よりよい技能の習得を目指すことから、施設や使用機具の開発を促すところから、安全のため、また競技が適切に行われるためには、ルールを忠実に守ること、絶えずルールが改善されていくことが必要とされる。スポーツ(パラグラィディング)の人間関係を律するのは、公正と安全という理念である。

スポーツ(パラグライディング)は、たった一人で行うことはできない。様々な人々の協力を得て、成り立つ。そういう団体を律するのは、自治法と呼ばれる規範で、スポーツにより規制の必要が異なるため、特有のルールを持つ。裁判は、原告と被告、加害者と被害者として対立して行われるが、本質的には内部抗争である。よりよいパラグライデングという共通の目的を実現する仲間同士だという風に、客観的には認識され得るので、共通の土俵が、準備でき、第三者(裁判所)による、紛争解決案の提示が可能となる。つまり双方が常識的であれば、訴訟は和解で終了することのできる人間関係である。

このように、パラグライディングについて、なんでもよいから、素人でも法律家でもいいのです、興味を持って研究していただきたいと思うのです。例えばアルペンスキー滑降競技会の安全について、ワールドカップ女子滑降競技中に発生した事故について、国際スキー連盟が訴えられているそうですが、数学モデルを適応すると、どうなるかという研究が発表されています。その内容が適切かどうか、裁判で採用されるかどうかは別として、パラグライダーについても、そのような試案が発表されるなら、様々な場面に応用して、事故の際にフライヤーに働く力を想像でき、競技中の事故についての苦情の申立も容易になるでしょうし、機体等の使用機具についてのクレームの申立も、今よりは格段に、容易となるでしょう。このようにして一般のフライヤーの方々の苦情窓口を、類型化して、入りやすい入り口を提案する、という作業が必要で、そういうボランテイアの方が現れることを期待したいです。



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