高山裁判を振り返って
和泉恭子基金顧問弁護士 恵古シヨ
1 恭子さんの死は、スカイスポーツパラグライダーの世界の、新しい主役を印象づける出来事となった。即ちプロとしての競技志向を持たない一般のフライヤーである。スカイスポーツパラグライダーを、「商品スポーツ」と定義付けて、規制するときは、一般のフライヤーは「消費者」と呼ばれる(消費者基本法)。

風待ちの方々により提起された、人は何のためにスポーツをするのか?という問題に対する答えは、人によって異なるであろうが、今やスポーツの主役が大衆である事実は、誰も否定できないと思う。歴史的には、スカイスポーツは、少数の金持ちの冒険として始まった経過であろうが、今や冒険とは区別され、「商品スポーツ」として、大衆に提供され、大衆が日常的に参加(消費)する活動分野となった。安全なスポーツであってほしいとの、極く当たり前の願いが、パラグライダーを愛した恭子さんを惜しむ声となって、この基金を支えていると思う。

2 高山事件は、公式競技中の事故だった。悪天候だったこと、恭子さん以外にも墜落者があったこと、競技が中止されたことなどから、当然JHF(社団法人日本ハング・パラグライデイング連盟)の調査や公式の見解が発表されると期待された。しかし当時のJHFは、相対立する見解の主導権争いの最中にあり、競技は、主催者が私的に行うイベントで、JHFの公認といっても形ばかりで、主催者が全て決めることが出来、主催者は、参加者に、自己責任で行うよう求め、参加者はそれに同意して参加しているもので、飛ぶ飛ばないは、全く自由であり、途中悪天候になれば、競技から離脱すがればよく、全て、競技者の自己責任で行われているとの意見が、支配的であった。組織内での内部告発を嫌う意見も、これを後押しした。真相解明のための努力は裏切り行為として弾劾糾弾された。

注 当時のJHFの本件に対する対応には、その上部団体である国際航空連盟FAIの組織変更という背景(混乱)もあったであろうと感じる。(航空と文化と題する平沢秀雄氏の文章の中で、FAIの組織変更の経過が記載されている)。

FAIは、現在は、会員で組織される総会が決定権を持つように民主化が徹底されているという。このFAIの体験は、JHFの組織改革にも影響を与えると期待できる)。

3 一般のフライヤーには不可能なことであっても、トップフライヤーなら、いかなる状況に陥っても、回避操縦が可能なのではないか?途中、強風になったとしても、和泉さんほどの人が何故安全に降ろせなかったのか?潰れから回復できなかったのか?たとえ木の上、水田、どこに降りたとしても良いではないか? 事実、他のフライヤーはそうして助かっている。

  この問いかけに出来るだけ答えようと思う。

●注

1. 回復操作をする間に機体は加速的に急降下し、回復のためには十分な高度が必要で、高度が不足する場合は回避不能である。

2. パラグライダーの翼は潰れることがある。教科書や操作マニュアルには、潰れからの回避操作が記載されている。 事件を通じて明確になったことは、規格品とそうでない機体(高速プロト機)とでは、潰れの回復操作が異なるということだった。規格品では、旋回をブレークコードを引いて止め、自由落下状態を作り出し、ブレークコードを開放し、翼に一気に風を孕ませる方法で回復可能とされるが、高速プロト機では、潰れからの回復操作の際、旋回をとめるためにブレークコードを使用してはいけないとされ、機体の動きが自然に収まるのを待って、頭上に来た翼の下に体を滑り込ませることによって、通常飛行に戻るという回復方法が正しいという。

3. 目撃証言によれば、事故機の翼は、棒を縦にした状態になっていたという。その棒状の翼が、逆さの状態の恭子さんを吊り下げて、落下したとのことである。翼が棒を縦にした状態だったということは、翼の残留空気が極度に少ないことを意味する。そして、そのような翼の状態は、人の能力を超えた激しい機体の動きがあったことを窺わせるものでもある。事故機が規格品セクターSではなく、高速プロト機だったのではないか、という噂が、真実味を帯びて来た。

恭子さんは、Oパイロン撮影後、次のパイロンを目指して飛行していたが、強風のため、殆ど前進できず、少しずつ南へ、明覚山よりに流され、山際の乱気流を受け、突然翼の半分以上が潰れ、激しく変則的に振り回される内に、翼と体の位置関係が、翼が体の下に入り、そこに恭子さんが落下し、体にラインが絡み付いて、足を上に頭が下の姿勢となって、翼から抜け出、棒のようになった翼に吊り下がった状態となり、落下したと見られる。

4. 恭子さんは、事故機を提供されたとき、トリムの使用方法や、翼が潰れたときの回復操作について、説明を受けたであろう。操作マニュアルはない。しかしブレークコードを引いて旋回を止めることを禁じられていたであろう。

潰れが起きたときは、ブレークコードを引かずに、機体を走らせ、機体が走り終わったところで、体を翼の下に滑り込ませる、という説明で、「機体を走らせ」というと、如何にも機体がフライヤーの統制下にあり、フライヤーは降りることも降ろすことも出来そうな印象がある。しかし状況は、全く違う。機体が、様々な力を受けて不規則に激しく跳ね回り、なすすべのない状態を、そのように表現しているに過ぎない。この種の機体では、翼の大潰れにより発生する機体の動きは、フライヤーが統御できないほど激しい。可能であるなら、緊急パラシュートを使用すべき状態である。

4 事故機は、回収され、焼棄された。しかし須坂署には、現場検証の際撮影された事故機の写真があった。翼の表示から、事故機がセクターS(規格品)ではなく、セクター#S(プロト機)だったことが読み取れ、動かぬ証拠となった。

事故機は、セクターS機と比較して、翼の形は、細めで、ダイヤゴナルリブ構造で強化され、少ないライン数で、トリム付きで、被服のない競技用のラインが装着されていた。

パラグライダーの翼の形は、初級機は熊笹の葉のようにずんぐりしているのに対し、高速機になればなるほど、スピードと滑空比(1m落下に対して,何m進むか)を追求するため、縦・横の比率が高くなり、真竹の笹の葉状になる傾向にある。翼が細くなると、当然不安定になるため,ピッチング(前後に揺れる)も大きく、長い翼を操縦するため、微妙な操作が要求される。 

もともとパラグライダーの操縦はラインによる翼の遠隔操作と体重移動を基本動作とする。高速機は、外からの風の力にも敏感に反応するので、荒れた気象では、安定した姿勢を維持することが初級機に比べ難しい。

ラインを少なくすると、外の風の力により,翼端タックが発生した場合など、翼がラインへ入り絡み込みやすくなる。

 重力は、ラインを通じて翼に伝わり、飛行する速度や、操縦に影響を及ぼす。

パラグライダーには、適正総重量の範囲が表示される。一般にフライヤーは、操縦技能が向上するにつれて、高速の出る、動きのよい機体を好むようになる。恭子さんは体重が50キロ程度で、使用していた従来型のセクター(SHVコンペ機)Sサイズは、適正搭載総重量が65〜85キログラムだった。適正搭載重量の範囲は、20キロ程度の幅を持って決められている。概して適正重量の上限で使用する方が、機体の動きがいい。事故機と同じダイヤゴナルリブ構造の規格品セクターTX機は、Sサイズの適正重量の範囲が、75〜95キログラムとされている。この適正重量の範囲の違いは、恭子さんに知らされていたであろうか? 恭子さんは、事故機の最低適正搭載重量が、体重の1.5倍であることを知りながら、事故機を使用したのであろうか。

事故機には、加速装置トリムも装着されていて、恭子さんは使用していた。後にSHVにより安全性が確認された改良型セクターTX機は、トリムの装着が認められていない。

 このように、事故機は、規格品セクターS機とは異なる高速機で、後に販売された規格品セクターTX機とは、翼形も、大きさも、性能も異なった機体だった。

5 ブレークコードの引きすぎについて

操縦は、ブレークコードを引くのと、体重移動によって行われる。そして重量が重いほど、つまり、その機体の適正重量の上限に近いほど、早く方向転換ができる。“挙動が敏感”と表現される。そしてマニュアルで、ブレークコードの適正な操作について、バンザイ、耳の位置、腰の位置という風に手の位置を定型化し、それにより、生ずる制動効果を明確にしている。

しかしプロト機では、この約束事は守られていない。
プロフライヤーのブレークコードの操作は、指3-4本のコントロールと言われる。技能が上達し、ランクが高くなればなるほど、規格品でも、ブレークコードの引きしろが短くなり、体重でコントロールする範囲が増すが、その差は僅かである。DHV1,1-2,2クラスなら普通60cmブレークを引いてもストールは起きない。3クラスだと60cm以下になる。DHV3クラスには55cm以下というものも市販されている。

ブレークコードの引きすぎは、急減速の原因となる。高速機は、急減速に激しい反応を示す。だから方向変更は、ブレークコードを使用せず、体重移動だけで行う方がベターとされ、一流のプロは、ブレークコードを殆ど使用しないで、機体を乗りこなす。

この傾向が過度に強調されることは危険である。 恭子さんが、その技能にあった市販機を常時使用していて、突然その技能では乗りこなせない高速機を提供されたとする。トッププロのように、勝利を収めるために、自分にあった機体を求め、様々な気象条件の下で飛んでみて、ブレークコードやトリムの長さを調節し、自身で機体の特性を作り出すことができるのならいいが、恭子さんは、基本的にはサンデーフライヤーである。それが、チームメイトから、操縦が未熟だと言われ、機体に慣れようとして、無理な飛行を開始し続行したのだとすると、それは危険なことである。テストによって、使用者の技能によって、篩い分けられるべき機体が、競技会で、規格品に混じって使用され、好成績を収め、高性能を宣伝され、規格品と同じような安全性があるとして、ブレークコードやトリムの長さを調整しただけで、手軽に、技術を指導するプロの手を通じて愛好家に提供されることは危険である。

6 風速制限について

  初級機であっても、高速機であっても、荒れた気象下では、滑空できず、墜落する危険があることは変らない、むしろ動きの早い高速機の方が風に翻弄されやすく、荒れた天候では速度も出にくい。

高速機は、異常飛行状態に陥った際、人の能力の限界を超えた激しい動きをしやすい。風速10メートルを超える強風・乱流下であれば、異常飛行状態から、通常飛行に回復することは、著しく困難ないし不可能である。その理由は、回復操作をしても,外から機体にかかる力(風の力)の方が、翼を正常に回復しようとしてパイロットが行う操作による力に勝ってしまうからである。このことはトップフライヤーの技術をもってしても、カバーできない。

7 事故発生

  事故が発生したのは、1997(平成9)年5月17日であるParaglider JOHO box. TAKAYAMA
場所は須坂市大谷町須坂温泉裏山林中腹
発生時刻 午後15時ころ

当時の新聞記事によれば、大会中に強風でパラグライダー4機が、相次ぎ墜落、 1人死亡2人けが、大会中止を無線機で連絡とある。

  恭子さんは7月の世界選手権に男子5人女子2人の日本代表として出場予定だった。当日は午前中に長野県地方を寒冷前線が通過氏、寒冷前線の背後にある寒気が張り出すであろうという予報であった。

スタート地点で霧が発生したため、午前10時の競技開始の予定が、午後1時30分になった。
 Paraglider JOHO box. TAKAYAMA 気象資料

飛行コースは、山田牧場から離陸し、途中の山頂などに設けたチェックポイントを通過しながら、長野市の千曲川河川敷のゴールまでの所要時間を競うタイムレースだった。

*飛行コースは、単純に山田牧場から長野市の千曲川河川敷のゴールまでを飛行するのではなく、途中須坂市上空のチェックポイントO地点で、折り返し、チェックポイントM地点標高1620メートル八滝第3カーブ上空に戻った後、再度折り返し、長野市の千曲川河川敷のゴールまで飛行するというもので、総飛行距離は50,5キロメートルであった。尚、折り返し地点である須坂市上空に、日本海からの湿った空気が流れこむ前に、須坂市の折り返し地点を通過して高度を上げないと、M地点に到達することも、ゴールに到達することもできない。

恭子さんの飛行記録(写真)によると恭子さんは
TO地点(標高1700メートル)13時10分、12分  
C地点 天神原オレンジ色L型屋根(標高770メートル) 13時54分
I地点 湯峰東屋(標高1310メートル)  14時02分
A地点 中倉山山頂吹流し(標高1680メートル) 14時25分 
O地点 サマーランドゲートボール場(標高400メートル) 14時46分
に写真をとり、その後現場上空に滞空後、15時ころ墜落した。

恭子さんは、O地点の写真撮影後、10分ぐらい滞空していた。14時50分ごろには、山下氏が、須坂市南原町百々川右岸百々川緑地に墜落するという事故が発生している。「明覚山のポイントを過ぎたあたりで、北からの風が強くなり、向かい風に押し戻され」緊急着陸しようとしての事故だった。

いずれの事故も付近の住民の救急要請により、救急車が出動している。事故現場上空に滞空中の参加者からの通報は全くなされていない。(*Paraglider JOHO box. TAKAYAMA *大会資料、*位置関係検証資料

選手たちは、須坂市のチェックポイントO地点サマーランドゲートボール場の写真を撮影後、その先の折り返し地点であるM地点八滝第3カーブに向って飛行しようとして、出来ず、須坂市上空に引き続き滞空して、競技が中止されるのを待っている状況だった。仮に飛行コースが短縮され、西から東に戻るチェックポイント八滝第3カーブが中止され、O地点(須坂市)から、進行方向の長野市の千曲川河川敷のゴールに直行するコースに変更されていたならば、事故は起きなかったであろう。勿論当日標高1620メートルのところにあるチェックポイントM地点八滝第3カーブに到達できた選手は一人もいなかった。

開始が3時間半も遅れたが、終了時間午後5時は変更なく、競技時間は短縮された。しかし飛行コースは短縮されなかった。大会中止が決まったときは、エリア全域で、パラグライダーの飛行に不適切な北風が吹いていた。

8 消費者基本法について

パラグライダーは、それを使用する者の技能により、安全であったり、危険であったりする。パラグライダーの安全のためには、提供した者の責任を追及することが出来る必要がある。スポーツパラグライダーの主役が大衆であるとするならば、伝統的な自己責任の理論では不都合が生ずる。大衆に商品を提供する業者の責任の根拠が、明らかにされる必要が生ずる。

業者からの、妨害に屈することなく、スポーツ事故に取り組んでこられた中田誠氏は、消費者保護法が消費者基本法に改組されたことに伴い、この法律をスポーツへ適用するよう、主張しておられる。議論は始まったばかりで、判例の集積が待たれるが、PL法、独禁法、と並んで、消費者基本法の研究が進むことを、期待したい。






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