娘があの空の向うに逝って9年余が過ぎました。 32年の短い生涯を終えたわけです。

それも こよなく愛したパラグライダーに乗っての事故で。

「世界大会を終えたら競技で飛ぶのは止めます」との約束を信じ 祈っていた私たちの思いを無残にも打ち砕くかのような国内での大きな大会中の事故でした。

  娘の最後に泊まった宿の人達の「あの冷静な恭子さんが何故落ちたのか不思議でならない」という言葉を聞いて「一体どういうことなのか」という思いを抱きながら 時間は出口の見つからないままに過ぎてゆきました。 

 大学時代の親友、飛田清弘氏夫人 飛田光子さんの紹介で快く受けていただいた 緒方重威、山田有宏両弁護士に、中学・高校を共に学んだ友人 恵古シヨ弁護士の助けを享け事故の真相を知ることが出来 一応の解決に至りました。

そこに至るまでには 多くのパラ愛好者の方々の パラ関係者からの誹謗中傷に耐えての懸命な努力、がありました。 
 
一度もお目にかかったことの無い方々からの励ましの電話やFAX メール 膨大な資料の提供 遠路長野地検まで出向かれ 検察官に会って下さった事など、 数え切れない程のご好意に支えられました。

今ここに心から感謝の気持ちとお礼を申し上げたいとおもいます。

皆様 本当に有難うございました。

  この度飛田清弘氏から恭子基金へのご寄付により 事故の報告をこのような形にして残していただく事が出来 こんな嬉しいことはございません。

空を浮遊し 決して地上では味わえない気分を体験する どんなに気持の良いことでしょうか!

その世界では事故は起こって欲しくないのです。 まして命を落とす事はあってはならない事ではないでしょうか。

自己責任ということで責任を相手に投げるのではなく 携わる人々の真摯な向き合い 常に安全への追求心と判断は欠かせないのではないでしょうか。  娘を失った者として 血を吐く思いでのお願いです。

八ヶ岳山麓の山小屋から 葉を落とし始めた白樺の木の間より見える甲斐駒が岳を
病む夫と眺めつつ・・・・・・・・



 2006年 秋       和泉 美智子

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